文教大学国際学部

国際ニュースの読み方

国際ニュースの読み方

  「新聞を読んで」 2007年12月29日

1. 「パキスタン ブット元首相暗殺」の白抜き見出しが、28日付朝刊各紙の一面に踊りました。今年10月亡命先から帰国して以来、ブット氏を狙ったとみられるテロ事件で多くの市民が犠牲になっていました。パキスタンでは今年,ムシャラフ大統領の強権政治に伴って、内政不安が増していましたが、一方で、日本が「テロとの戦い」の国際協力として行っていたインド洋での給油給水の対象が、今年に入ってからは、米海軍よりもパキスタン海軍向けの方が多いと報じられていました。テロと戦うために支援する国が、テロと強権政治に見舞われているとするならば、日本はインド洋での対テロ国際協力活動を復活させる意味があるのか。この問題を論じる際に、現地情勢に対応した新しい視点が必要になってきたのではないでしょうか。

2. 今年もあとわずか。この1週間に限って言えば、二つの問題で政府の決断が問われました。そのひとつは、申し上げるまでもなく、薬害肝炎の一律救済問題です。もう一つは、沖縄戦における集団自決に関する教科書検定問題です。

3. まず薬害肝炎問題です。12月24日付毎日新聞は、「責任を明確にする決断も要る」と題した社説で、「福田首相が23日、原告側に歩み寄り、議員立法で被害者を一律救済すると表明した」ことを、「後手に回った決断との印象はぬぐえなくても、政府が解決に向けて踏み出したことを歓迎したい」と評価しています。その責任問題に関しては、「福田首相は一律救済を決断した以上、薬害の責任も明確にすべきである」と論じ、「被害者だけでなく、費用の負担を迫られる国民にも、政府として公式に謝罪して理解を求めなければならない」と迫っています。

4. この薬害問題はたまたま医師の処置を受けた人が被害者になったという意味では、誰もがこの苦しみの当事者になり得たわけです。これこそ,被害者たちの訴えを世論が全面的に支持してきた大きな理由であったと言えます。毎日の社説は「国民への政府の公式謝罪」を求めていますが、これは税金が投入されるという問題だけではなく、すべての国民が潜在的被害者候補であったという意味で、国民への謝罪が必要だったのではないでしょうか。

5. 産経新聞は翌日の25日、社説にあたる「主張」欄でこの問題を論じ、福田首相の議員立法による被害者の一律救済を、「交渉が長期化する懸念も出ていただけに,解決の糸口を作った点では評価したい」としています。そして、「今回の薬害は、国が許可した血液製剤に人の命を奪うC型肝炎ウイルスが混入していたことで起こった。立法化にあたって政府は、これを国の責任としてどうとらえ、どんな形で触れようとしているのだろうか。盛り込むとすれば、どこまで具体的に示すのか。その辺を明確にしてほしい」と、やはり国の責任を明確にすることを求めています。

6.毎日や産経などの強い訴えに比べて、読売新聞の社説は、トーンとしては政府に寛大です。「全面解決へ立法作業を急げ」と題した24日付の社説は、政府の責任を問うよりもむしろ、原告側が大阪高裁の和解案を拒否し、舛添厚生労働大臣が示した修正案に応じなかったことに触れ、「厚労省などが一貫して主張したのは、司法が限定的に認めた賠償責任の範囲を超えて、一律に救済することはできないということだ。行政として、司法の枠組みを超えるのが難しいというのは、その通りであろう」と政府の対応の限界に大いに理解を示しています。

7.しかしこのような政府責任の限界論を原告団や世論が受け入れていれば,はたして今回の福田総理の決断を導き出すことができたでしょうか。政府に対して物わかりのいい新聞であるか、それとも政府には問題解決のためのあらゆる工夫を求める新聞であるか。薬害被害者救済問題は、解決への道筋ができた今でも、さまざまな問題を提起しています。

8.「いったん一律救済を拒んだのに、なぜ3日後に心変わりしたのか」と問いかけた24日付朝日新聞の社説は,次のように分析します。「かたくなな政府の姿勢に批判がやまず、手をこまぬいているわけにはいかなくなったのだろう。急落した内閣支持率に歯止めをかけたいとの思惑もあったに違いない」。まさに君子豹変の裏には、人道的理由もさりながら、福田政権のわが身大切な理由もあったようです。舛添厚生労働大臣が,世論を逆なでするような「政府の最終案です」と大見えを切った直後だっただけに、報道機関の調査で示された世論が、政府の不可能を可能に変えることができるのだという教訓になりました。

9.世論に屈服せざるを得なかったもうひとつの出来事がありました。それは、歴史教科書検定問題です。来年春から使用される高校の日本史教科書検定で、沖縄戦で起きた集団自決という悲劇の記述に関して、「日本軍の強制があった」という部分が、「強制」が「関与」という言葉に置き換えられることで、決着しました。

10.この問題に関しては、訂正を是とする朝日、毎日の主張と否とする読売、産経の主張は対照的でしたが、共通するのは、検定制度のあり方に関する批判です。産経新聞は「検定制度は何だったのか」と疑問を呈していますが、問題の多い検定制度を抜本的に見直す必要がありそうです。毎日の社説は、「高校レベルの教科書なら検定というタガを外すことを検討してはどうか」と提言します。

11.年の瀬は、この1年の主要ニュースを回顧する紙面が恒例ですが、そのひとつ「07年回顧 日本」と銘打った25日付の読売新聞社説には心からの拍手を送りたいと思います。「何を、誰を、信じたらよいのか分からない」と書きだしたこの社説は、この1年が食の安全や年金問題など、不信と不安に満ちた1年だったことを嘆いています。そしてこう述べます。「説明責任を果たさなかったり、虚偽の説明をしたりしていたのは、政治家だけではなかった」。その例として、読売の社説は守屋元防衛省事務次官などを挙げていますが、この社説の執筆者は実は、自民党と民主党の大連立を仕掛けたとされる読売新聞の社論の最高責任者に対して、暗に「説明責任を果たさなかった」と迫ったのではないでしょうか。だとすれば、まさに公器たる新聞の社説執筆者の最高に勇気ある言葉です。大騒ぎとなった大連立構想に関与した大新聞社の大幹部の説明責任が未だ果たされていないことだけは確かですから。

それでは、どうぞよいお年をお迎えください。