留学生の報告

長期留学

佐藤直美

留学先:エドモンズ・コミュニティ・カレッジ

私はアメリカのワシントン州にあるEdmonds Community Collegeに協定校留学をしていました。時期と期間は大学2年次の秋学期、約半年間です。

協定校留学は、単位が認定されるため、留学をしても基本的に4年間で卒業は出来ます。ただし、教職志望者の場合、教員免許の取得に必要な授業は日本でしか受けることが出来ないので、留学をする時期が限定されます。4年間で教員免許を取得するためには、大学2年次に半年間の留学をするしかありません。このため私は、大学1年次の冬に、留学の条件となっている英語試験(TOEFL)のスコアを取得しました。適切な留学時期については、早めに大学側に相談してみて下さいね。

留学にかかる主な費用は、半年間で学費60万円、ホームステイ・寮費40万円、渡航費20万円、計120万円ほどです。この他に、毎月の生活費や食費、学期ごとの教科書代等が必要です。私の場合、埼玉県からの奨学金20万円、大学からの奨学金40万円の補助がありました。留学の手続きは基本的に大学側がサポートしてくれたので、とても心強かったです。

留学中は、最初の三ヶ月はホームステイ、残りの三ヶ月は寮で生活をしました。向こうの大学には、アジア人をはじめとする留学生が多く、東ティモール、カリブ、バングラデシュ、南アフリカなど、日本ではもしかしたら出会えないような友人も出来ました。授業については、最初の三ヶ月は、主に留学生用の授業を受け、その後の三ヶ月は、アメリカ人の学生の中で授業を受けました。毎週のテストや20ページにもわたるレポートなど、毎日多くの宿題や課題に追われていました。

また、アメリカに着いて一週間経った頃、ホストマザーの車で交通事故に遭ったのですが、幸い大きな怪我はなく、アメリカの大学のサポートセンターに病院や保険の手続きを助けてもらいました。このようにアメリカの大学にも、困ったときに留学生をサポートしてくれる体制があったので安心して過ごすことが出来ました。

ホームステイのときに毎日ホストマザーが買ってきてくれたカップケーキ、週末に庭のグリルで焼いた手作りハンバーガー、寮の友だちと毎週一緒に食べたピザ、昼休みによく大学の近くのお店に食べに行ったメキシコ料理。私に元気がないと、ルームメイトが「ティータイムにしよう」と、一緒にミルクティーを飲みながら、ずっと私の話を聞いてくれました。ホストファミリーや友人と、たくさん話しながら、たくさん笑いながら、一緒に食事をしました。私の日本への帰国前日、寮に住む仲間たちが、手作り料理を持ち寄ってサプライズパーティーを開いてくれ、彼らの温かい料理に、温かい気持ちに涙が止まりませんでした。

一人でも多くの人が、留学という経験を通して、語学力の向上はもちろん、忘れられない多くの温かい経験が出来ることを願っています。

短期留学

高橋玲名

行き先:北京外国語大学(中国短期語学・文化研修)

カラッとした空気に、雲一つない晴天、16日間の北京研修はそんな快晴の日から始まった。語学研修と、中国の社会、文化を現地で見ることが、私の研修の目的だった。平日の8時~12時の中国語の授業、その他の自由時間を余すことなく楽しんだ日々だった。

基本的な中国語の授業を受けたが、説明も含め、全てが中国語で話され、発音の改善、語彙の蓄積が可能であった。北京で中国語を学ぶ上で一番の利点だったのは、学習したことをそのままデパートやレストラン等で活かせることだ。(実際に靴を買いに出かけてみた。)と言っても、1年間中国語を学んでも、実際に聞く、話すことは私にとって至難の業だった。はじめの数日は店に入って料理を頼むのもやっとという具合で、一緒に行った友達に頼りきりだった。自分の発音の拙さや語彙の少なさが口惜しかった。それでも、次第に短い話や単語の意味がわかった時には、思わず顔がほころんだ。最後の数日は、自分から伝える意欲に燃えた。

参加者全員で天安門や故宮、万里の長城、明の十三陵へ観光、京劇の鑑賞もし、中国(北京)の雰囲気や文化にも数多く触れた。北京の町並みは、建物一つ一つが大きく、雄大で荘厳だった。京劇にも、雄大さ、荘厳さがあった。銅鑼や太鼓の音、戦う動きや、アクロバティックなシーンがあるにも関わらず、決してドタバタしているようには見えず、優雅で、見ているだけで不思議と惹かれていった。

また、自由行動の際には前門、西単、頤和園、南羅鼓港、天壇公園、王府井、鳥巣に行った。車の行き交いが激しく、中国では車が常に優先なので、歩行者である私たち研修生は横断するときは信号が青でも車に注意した。王府井の仲見世では、店の人が私と友達が日本人と知ると「ミテッテ、ミテッテ!」「ヤスイヨ、ヤスイヨ!」としきりに日本語で声をかけてくれた。

北京の五大建築物の一つである、天壇公園には、宗教的な祭壇の周りの広々とした公園に、ダンスやカードゲームをするお年寄りや憩いでいる家族連れが溢れていた。頤和園では書道の心得がある人が、大きな筆でバケツに入った水を墨汁のようにつけて、道にとてもきれいに字を書いていた。私たちが日本から来たことを知ると、“欢迎日本朋友到北京頤和園旅游”と書いてくれ、周りに居た人たちが「欢迎!」「欢迎!」と声をかけてくれたのがとても印象的だった。

私が二週間の間に出会った人々は、みな懐の深い、情の厚い人たちだった。全ての人との出会いが、中国への関心をより強め、中国語学習への意欲、中国社会への興味を一段と高めてくれた。充実した日々を共にしてくれた異国の人々、研修をともにした仲間、先生方に感謝の意を表し、私の北京短期語学研修の軌跡としたい。


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