海外留学

認定留学とは

大学が認定した下記8大学のいずれかに個人留学し、留学先での成果を文教大学の単位(1セメスター〔半期〕で上限20単位)として認定する語学研修プログラムです。

留学先の授業料などは自己負担ですが、文教大学への学費は一部(現在は半期で9万円)が免除されます。また、留学期間も文教大学への在学期間としてカウントされますので、4年間で卒業することが可能となります。

留学期間は、2年生の秋学期から4年生の春学期のうち、通常、1セメスター(半期)で、大学構内にある留学生用宿舎に住み、対外漢語教育組織(外国人留学生対象の中国語学習機関)で中国語を中心に学びます。

2001年度から始まったこの語学研修プログラムは、これまでに90名近くの学生が利用しています。

これまでの実績

留学先大学および留学者数
2001年秋学期 華東師範4名
2002年春学期 首都師範1名
2002年秋学期 首都師範3名、同済大4名、南開大2名
2003年春学期 首都師範1名、同済大1名
2003年秋学期  SARS(重症急性呼吸器症候群)流行のため募集停止
2004年春学期 首都師範1名、同済大2名
2004年秋学期 同済大1名
2005年春学期 首都師範1名、同済大2名
2005年秋学期 首都師範3名
2006年春学期 首都師範3名、同済大2名
2006年秋学期 首都師範3名、同済大2名
2007年春学期 首都師範7名、同済大1名、南開大2名
2007年秋学期 首都師範2名、華東師範1名
2008年春学期 首都師範3名、同済大1名
2009年春学期 首都師範1名、同済1名
2009年秋学期 首都師範1名
2010年春学期 首都師範1名
2010年秋学期 首都師範1名、同済2名
2011年春学期 北京外大3名、同済1名
2011年秋学期 同済1名
2012年春学期 北京外大1名
2012年秋学期 首都師範1名、北京外大1名、同済1名、台湾師範1名
2014年秋学期 北京外大1名、華東師範大1名
2015年春学期 華東師範2名
2015年秋学期 北京外大2名
2016年春学期 華東師範2名、台湾師範1名
2016年秋学期 華東師範1名
2016年春学期 なし
2016年秋学期 北京外大1名、南開大1名
合計84名

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認定校留学の流れ

春組 秋組
説明会 9月下旬 4月下旬 説明会は毎学期行います。
留学経験者による体験報告などもあります。
書類申請 10月下旬 5月下旬
書類審査 11月初旬 5月下旬 志望理由、文教での成績などをもとに審査します。
面接審査 中国語による面接で基礎的な会話運用能力をチェックします。
結果発表 12月下旬 6月下旬
事前指導 12月末 7月末 留学中に文教側から個別遠隔指導を行う担当教員を決めます。
留学準備 留学中の学習指導計画を個別に作成するほか、集団ガイダンスを行い、留学中の留意事項・危機管理などについて指導します。
1月 8月 留学事務手続きについては、国際交流室が指導・管理し、ビザ取得や航空券の手配なども旅行代理店を紹介します。
認定校留学 2月~7月 9月~2月 指導計画にもとづいて中文科担当教員による遠隔指導を受けながら、中国語学習を中心とする留学生活を送ります。
電子メールによって学習生活報告を月2,3度提出します。
帰国報告 帰国後、留学生活を振り返って帰国報告をまとめ提出します。
単位認定 留学先での教材・授業時間・成績などをもとに単位認定を行います。
復学 留学期間も文教大学の在学期間としてカウントされます。

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留学生活 経験者の声(「帰国報告書」から)

同済大学:Sさん(2006年春学期)

今年の2月から、非日常として経験を重ねてきた上海での生活も、ついに終わってしまいました。上海で暮らしていた頃は1日がとても長く感じた時期もあり、またあっという間に1週間が過ぎてしまった時期もあり、日本とは違った時間感覚の中毎日を過ごしていましたが、今振り返ってみると半年は本当に短い期間であったように感じます。

日本へ帰ってきてからしばらくは日本という環境に感動して常に周りの状況全てに興味を示していましたが、すぐに半年前の日常が当たり前に戻ってきました。しかし確実に半年前の自分とは違う部分が多くあるはずです。今回の留学経験で得られたものは少なくありません。確実に、自分自身の成長になりました。

中国語学習について。期末テストの前は毎日、とにかく勉強漬けの日々を過ごしていました。HSKが期末試験の直前にありましたが、私は留学生活の価値付けをされてしまう資料として学校の期末試験に重点をおいていたので、授業内容の復習、前回のテスト内容を踏まえての勉強に精を出していました。結果は、努力の甲斐もあって出来が良く、自分なりに満足しています。

今留学中の学習生活を振り返ってみると、毎日の授業がいかに大切だったかということを実感します。日本にいた頃は、大学の授業時間が毎日不規則に配分されていたり興味のない教養科目も多かったりと、あまり授業の大切さを感じる機会が少なかったのですが、留学先の大学の授業はすべてが未体験のものであり、語学力の向上に確実につながる内容であったと思っています。

まず始めの頃は内容理解自体が困難で、ついていくことがとても大変でした。全てが中国語で行われる授業、先生の質問も雑談も正確に聞きとることが出来ず、なのに周りの生徒はほとんどコミュニケーションが出来ていて、内心本当に焦っていました。そこで必死に予習を繰り返しました。予習をしないと私の聴解力では授業についていけないのです。もともと欧米人は「漢字」の読めない状態から中国語の勉強を始めているので、日本人である私と同じくらいの文法レベルにもなる留学生たちは、当然会話力は日本人よりも優れています。先生もそのことは理解してくれていて、最初私には難しい会話での質問は避けるようにしてくれ、問題の答えを主に聞いてくれたりしていました。

必死の予復習の甲斐があって、(もちろん環境というものは大きいですが)少しずつ「中国語」に慣れ、滞在最後の頃には、先生の雑談まで理解できるようになりました。先生も会話を私に振ってくれるようになり、他の生徒と一緒に中国語で談笑したりも出来るようになりました。

日常生活について。とにかく「不便」と感じていた上海生活ですが、それもまた自分を鍛えてくれたのではないかと今になってみると思います。食の不便さにも慣れてしまえば、安い値段でお腹いっぱいの料理を食べることが出来るということは今考えるとなかなか良い環境だったのではないかとも思います。喉元過ぎれば、というものです。ただ寮の近くに良い食環境が少なかったので、やはり一番つらかったのは寮周りの環境の不便さでした。自転車を盗まれてからしばらくは徒歩かタクシー移動しかなかったのでローソンに行くまでも徒歩10分、という不便さが本当につらかったです。日本人は便利さに慣れすぎかもしれませんね。自転車をまた買ってからは、それも少し改善され、学校に1番近い大型スーパーへも気軽に行けるようになり、そこまで不便さは感じなくなりました。しかしその頃には急激に上海の気温が上がってきていたので、日中の外出はつらく夕方~夜、いつもサイクリングがてら買い物に出かけていました。

上海の夏は湿気と暑さが本当に厳しく、帰る頃には日中外にでるなんて拷問になっていました。しかし帰国の為、10キロ以上ある大きなダンボールを抱えて何度も郵便局に行かなければならなく、本当につらかったです。車がない環境の不便さを実感しました。最後には仕送り生活の残金の見通しもついてきたので、少しは贅沢をして上海生活を満喫することが出来ました。

上海市内、近郊都市といろいろな場所へ出かけたこと、留学生の友達とたくさん交流出来たこと、最後に追い込みをかけてお土産探しに市内観光したこと、全てが本当にいい思い出になりました。せっかく中国にいたのに、その生活がもう日常になってしまっていて、あまり頑張って市内観光へも出かけなかったのですが、それでも長く上海に滞在している人たちに比べて私はかなりいろいろな場所へと出かけていたようです。上海雑技も見に行ったし、撤去最後の日(6月30日)のニセモノ市場へも行ったし、豫園と外灘、南京路辺りには何度も足を運んでいたし、北京ダックや点心も食べたし有名な小龍包もたくさん食べました。今考えると「今夜行こうか」なんて距離に、日本ではガイドブックやテレビの中でしか見ることの出来ない場所へすぐに行くことが出来る環境というのは本当に貴重だったんだなと思います。

今考えてみて、語学力の向上だけでなく、たくさんの経験からはたくさんのかけがえのないものが得られていたと思います。毎日必死に勉強していたこと、不便さの中頑張って生活していたこと、たくさんの優しい人たちに出会えたこと、仲間と支えあえたこと、全てが自分にとってプラスとなりました。思い切って留学してみて、本当に良かったと思っています。世界観、価値観を広げることが出来、中国を肌で体感することが出来、本当に大きな成長になったと確信しています。

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